障害者は、障害者であるが故に、その言葉の裏にたくさんの事実を隠されてしまいます。
例えば、私が一人で電車に乗ると、お手伝いを断ってるのに、勝手にどこまでもついてくる駅員がいます。なんならトイレの外までついて来る人もいます。もし駅員だとしても、相手が障害者でなければ、ストーカーで訴えられそうなレベルの時もある。
電車に乗る瞬間も、よく声もかけられずに誰かに車椅子を押される。これも他人の物に勝手に触るというあまり良くない行為。例えるなら、自転車に乗ってるとき、急に荷台を押されたり、持たれたりすると危ないですよね?バランスも崩しますよね?何よりすごくびっくりしますよね?自転車に乗ってるときは、自分と自転車は一体化してるように感じてるはず。それと同じです。
もちろん、健常者側からしたら、「お手伝いをしようと思った」「良かれと思って」となる。でも良く考えると、相手が障害者でなければ、みなさんも「え、何!?」ってなりますよね?
また、イヤホンで音楽聞いてて、声かけたのに、気づかなかった時とか、「せっかく手伝おうと声かけたのに、答えろ」と車椅子を蹴られたこともある。
でもね、障害者にも、声かけられたくない時もあるし、疲れてる時もある。ひとりになりたい時もあります。いつもニコニコ芸能人みたいな対応は私にはできない。そして、入ってきて欲しくないテリトリーもある。
障害者が電車に乗るときや、バスに乗る時、行き先を伝えないといけないことも、仕方ないけど、スピーカーでアナウンスする必要はない。
親切心や、良かれと思ってという行為で障害者その人の人権やプライバシーが守られないのは、悲しいなと思う。もちろん手伝ってもらえることはありがたいし、お願いもしたい。でもやっぱり、行きすぎたお手伝いは、たとえそれが障害者であっても、そこは個人を尊重して欲しいなと思います。